舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
#10 ネオパーサ清水ぷらっとパーク(静岡県静岡市/10月下旬)
「記憶を辿る、ショートトリップ」作/武田 宗徳
出張で東京に来ていた。新年を迎えて数週間が経った頃だった。
朝9時までに東京本社に行かなければならず、薄暗いうちから新幹線に乗った。静岡駅のホームでも風が冷たいと感じたが、東京の風は、陽が昇ってしばらく経っているというのに、もっと冷たく感じた。
勤めている会社で、あるメーカーの新製品の部品を受注した。今日はその量産に向けた打ち合わせをするため、本社の営業に呼ばれていた。自分は静岡工場の製造責任者で、今日はその新規部品の製造に使う刃型をどういう形状にするか、刃型屋と打ち合わせすることになっていた。
本社のミーティングルームに入ってきた刃型屋を見て驚いた。今から15年前まで一緒に働いていた仕事仲間だった。向こうも同じように驚いていた。
午前中の打ち合わせを早めに切り上げて、二人で昼食を取りに外へ出た。
「久しぶり、元気そうだね」
私は歩道を歩きながら、体の大きい彼に声をかけた。
「はい、15年ぶりです」
彼の表情に笑顔が戻っていた。私たちは、歩いて数分の場所にあるカツ丼が美味しいと評判の食堂に入った。桑名は、二杯食べるんだ、と息巻いていた。彼は私の5歳年下だった。
「桑名くん、いま刃型屋にいるんだ」
「はい、貧乏暇なしですよ。高田さんは静岡の部品工場?」
「うん、小さな会社だけどね。東京に住んでるの?」
私が聞くと彼は
「はい。まあ、正確には埼玉県ですけどね。子供三人いますよ」
と苦笑いを浮かべた。
私たちが働いていたオートバイ用品店は今はもう無い。でも、あの数年間は本当に楽しかった。
みんなオートバイに乗っていて、定休日にはみんなでツーリングに行った。昼には解散するショートツーリングで、行き先はいつも御前埼灯台だった。
「クシタニコーヒーブレイクミーティングって知ってます?」
テーブルを挟んで目の前にいる桑名に聞かれ、私は首を傾げた。
「コーヒー飲むだけのバイクのミーティングイベントなんですけどね。10月にネオパーサ清水でやってたんですよ」
「新東名高速のサービスエリアか」
「はい。たまたまその日、家族とそこにいて。そうしたら小山さんがいたんですよ!」
「へー!」
懐かしい。小山さんも当時の仕事仲間で僕らの先輩だ。
「バイクで来てたの?」
「はいGPZでした。相変わらず」
まだ乗ってるのか……。
「今年の10月、みんなで集まれないですかね。ネオパーサ清水に」
桑名が言う。
「いや、でも俺、誰の連絡先も知らないよ」
「西形さんが清水のバイクショップで整備士をやってるって小山さんから聞きました」
じっと私を見て彼が言う。
「沢野さんはケミカルメーカーの営業マンです。西形さんのお店にも出入りしているみたいです」
西形さんも沢野さんもお世話になった先輩だ。チェーンのメンテナンスやオイル交換の仕方を教えてもらった。
「高田さん。西形さんのいるショップに行ってもらえませんか」
真剣な顔つきで桑名が言う。
「西形さんから、あと寺田さんとか牧野や石井にも連絡が取れるかもしれません」
私は桑名の目を見た。
「僕もできることはしますから」
桑名が何故こんなにも真剣なのか、この時はわかっていなかった。
2023年10月28日 土曜日
寝坊した。
月末の金曜は決まって仕事が忙しく、昨晩は帰宅が遅くなった。それでも早めに布団に入ったのに寝付けなかった。ハッと気づいて時計を見ると、あと10分で7時になる時間だった。8時に集合と聞いていたから、私は50キロもない距離を高速道路を使ってカワサキ エストレヤを走らせた。
ネオパーサ清水に到着したのは8時を少し過ぎていた。
クシタニコーヒーブレイクミーティングの会場《ぷらっとパーク》とは、どこにあるのだろう。案内表示を見ると、どうやら下道から来たお客が停める専用の駐車場で、サービスエリアからは乗り入れできないようだ。
サービスエリアにバイクを停めたまま、歩いて《ぷらっとパーク》へ向かった。
売店や飲食ブースのある施設を通り抜け、屋外へ出た。視界がひらけた。目の前の小高い山には、所々紅葉が見られた。すがすがしい空気と眩しい日差しで気持ちがいい。
たくさんのバイクが並んでいた。ライダーたちは皆、クシタニコーヒーのカップを片手に楽しそうだ。
みんな、どこにいるのだろう。
桑名も西形さんの姿も見つけられない。
今年の年明けに桑名と出会って、私は彼に言われた通り清水のバイクショップに行った。西形さんと会うことができて話をした。私がしたのはそこまでだった。どのように連絡が行き渡って、誰が来るのかもわからないまま、8時集合と聞いて、今日ここに来た。
視線の先にV-MAXが見えた。桑名のオートバイも、確かあれだった。隣には青色と赤色のGPZ900Rが並んでいる。その隣にセロー、RMX、CRMに、BIG1と続く。どれも見覚えのあるオートバイばかりだった。
桑名と、小山さんの……そして沢野さんの、西形さん、寺田さん、牧野、石井のバイクじゃないのか? きっとそうに違いない。誰のバイクか全部わかる。
だって15年前と変わっていないのだから。
「おーい、高田くん」
呼ばれて振り返ると、クシタニコーヒーのカップを手にしている昔の仕事仲間たちが、全員そろってそこにいた。
私は、昔の商店が残る山中の街道を南へ下っていた。52号線から1号線に入り、しばらく西へ走ってから、清水港に向かって左へ降りる。そのまま南西へ向かって走り続けた。清水港のあたりを過ぎ、三保半島の入口も通り過ぎると、左側に太平洋が見えてくる。
私は、駿河湾を左に久能海岸を走っていた。
みんなとは、9時過ぎに別れた。
コーヒーを飲みながら、お互いの近況を聞き合ったり馬鹿話をしたりして、小一時間を過ごした。やがて、西形さんは仕事があるからと、桑名は家族との約束があるからと言って、そのまま解散となった。他のみんなもゆっくりしていられる時間は無いのだろう。
15年という月日はそれぞれに新たな責任を与え、さらに大人にさせていた。
別れ際、桑名が私にだけこう言った。「バイクを手放します」と。
150号線を南へ向かって走っていた。安倍川を渡り、日本坂トンネルを抜けた。
何かを確かめたくて、私はオートバイで走り続けていた。
後ろからオートバイの排気音が近づいてきている。私の乗る250ccの単気筒の排気音とは違う、四気筒の大型バイクだ。一台ではない。
ゆっくりと私の右横に並び、そしてじわじわと追い抜いていく。青色のGPZ900R、そして赤色のGPZが続く。ミラーを見ると、後ろにRMX、CRM、BIG1、と続いている。
私たち6台は一つの塊となって、記憶を辿って走っていた。
昼前には到着するはずの、県最南端の岬にある灯台に向かっていた。
おわり
バイク小説短編集 Rider's Story
武田宗徳 オートバイブックス
舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
#9 道の駅 湖北水鳥ステーション(滋賀県長浜市/10月下旬)
「南彦根のお礼しに、バイクで行った 湖北水鳥」 作/武田 宗徳
8月
その切符にスタンプを押してもらうと、俺は浜松駅の改札を通り抜けた。
お盆休みが始まり、駅の構内は夏休みを楽しもうとしている家族連れやカップルたちでごった返していた。混み合っている新幹線の改札を横目に、俺は東海道線下り列車の停まるホームに向かっていた。静岡から名古屋へ、いや京都や大阪、もっと、広島までだって行けるものなら行こうと考えていた。
「青春、か…」
青春18切符を財布にしまい、それをジーンズの後ろポケットに収めた。
今年で31歳になる。俺の青春はとっくに終わっているものと思われる。
1日電車乗り放題の切符が5枚ある。全て使い切って戻ってくるつもりだった。気になる駅で途中下車してブラブラしながら行けるところまで行くつもりだった。
味噌カツでも食べようと思っていた名古屋に到着したのは午後2時近くだった。味噌カツは食べたものの他に行きたい場所もしたい事もなかったので、ふたたび電車に乗って名古屋を離れた。
(東海道本線で名古屋から西へ行ったことないな)
列車の窓から、流れていく外の景色を見ていた。田んぼと、川と、よく見る日本の風景が広がっていた。
新卒で採用された会社に今もそれなりにまともに働いている。休日の前の晩はカラオケに行ったり飲みに出たりして、ときどき馬鹿騒ぎして、休みの日は買い物をしたり、映画を観たり、遊園地や水族館や旅行に行ったりなんかした。それはいつも誰か友達とか、いるときは彼女とかと一緒に過ごした。
だから今回みたいな一人旅は珍しかった。
乗り換えの必要な大垣駅で電車を降りると、そのタイミングで駅の外へ出てみた。降りたことのない駅で少しブラブラしようと思った。だけど一人でどこへ行って何をしていいのかわからず、考えながら駅前を行ったり来たりしただけで、結局また電車に乗った。
(俺はいったい何をしたいんだ)
考えるのも面倒くさいなとぼんやりしながら車窓を眺めていた。JR東海道本線は、そんな俺をさらに西へと運んでいった。
ーその夜ー
「俺はいったい何をしたいんだ、って思うんですよお」
「わかったわかった、呑め呑め」
俺は、店のカウンターでたまたま隣に居たおじさんに勧められるがままビールを飲んでいた。
滋賀県彦根市にいた。彦根駅周辺で宿を探したけど、どこも予約でいっぱいだった。南彦根駅から歩いて20分ほどの場所にビジネスホテルの空きを見つけ、午後5時過ぎに飛び込みでチェックインした。そこから歩いて5分もしない焼き鳥屋に入った。確かそのはずだった。
「まともに働いているんです。友達もそれなりにいますよ。彼女もそれなりにいました。不自由ない生活だとは思うんです。でもそれを続けてどうなるのかって…」
「うんうん」
おじさんはまた俺のグラスにビールを注ぐ。そのビールを一口飲んで、グラスをゆっくりカウンターに置いた。L字型のカウンターと、その後ろにテーブル席が二つ。手前のテーブル席とカウンター席は、ほどよくお客で埋まっていた。決して広くない焼き鳥屋だが、なぜか居心地が良かった。東京や名古屋の居酒屋で飲んでいるときと少し違う。まるで地元静岡で飲んでいるみたいだった。
「あんた静岡からか。ここは雰囲気が似とるやろ」
まさに今そう思っていたから、おじさんのセリフに驚いた。
「滋賀も静岡も、のんびりしとるんよ」
ガラッと店の扉が開いて数人の男性が暖簾をくぐって入ってきた。まくし立てるような早口で喋りながら奥のテーブル席に落ち着いた。隣のおじさんと目が合った。
「同じ関西でもちゃうやろ?」
大阪から来た人たちなのだと、自分でもわかった。
そのあともカウンターで隣のおじさんと話をしていた。よくわからない薄ぼんやりした俺の話に付き合って聞いてくれた。
一人になると何をしていいかわからない…。このまま同じ生活を続けていってそれが何になるのか…。俺は何もできない男なんです…。
深い眠りから覚めた。その部屋は真っ暗だった。枕元に置いてあった携帯を見ると時刻は午前10時だった。
遮光カーテンを開けると眩しい光が部屋に差し込んだ。昨日は閉店まで焼き鳥屋にいた。確か、俺とあのおじさんが最後の客だった。
だいぶ酔っ払っていたと思うが、俺はチェックインしたビジネスホテルにしっかり戻って来ていた。
喉が渇いていた。部屋に飲み物がなかったので、自動販売機で水でも買って来ようと財布を持って部屋を出た。自販機コーナーで財布を開けると一万円札がくずれていないことに気がついた。昨日ホテルにチェックインしたとき、現金は一万円札と小銭が数十円しか残っていなかったはずだから、昨晩の飲み代で一万円札がくずれていないとおかしいのだけど…。そもそも、飲み代を払った記憶もなかった。
(あのおじさん…)
おじさんは別れ際にこう言った。「オートバイに乗ってみい」と。
俺は「この歳で、今更? 人生変わりますか」と鼻で笑った。
おじさんは落ち着いていた。「わからへんけど、あんたの望んどるモン、オートバイに乗ったらわかるかもしれへん」と言った。そうして背を向けて駅とは反対の方向へ歩いて行ってしまった。
詳しく聞きたかったけど、もう声をかける雰囲気ではなかった。
10月
俺は滋賀県長浜市にある「道の駅 湖北水鳥ステーション」にいた。今日は、ZuttoRide x KUSHITANIコーヒーブレイクミーティングの開催日だった。
納車日が決まったと連絡があったその日に、俺はバイクウエアを買いに「クシタニ浜松本店」に行った。そこで「クシタニ」が展開しているバイクミーティングの存在を知った。
ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティングは一年を通して全国各地で開催される。滋賀県でも10月後半に開催されると知り、その日に合わせて準備をしてきた。
あの夏休みの鈍行列車の旅は、結局南彦根で一泊しただけで終了し、静岡に戻ってきた。その日のうちに俺は教習所に行って入校の申し込みをしたのだ。めでたく普通自動二輪免許を取得して400ccのバイクも手に入れた。今日に至るまで、俺は毎週末バイクに乗って過ごした。まわりに乗っている友達もいなかったから、いつも一人だった。でもなぜか走っているだけで楽しかった。
今日は初めての遠出。いきなり滋賀県だ。会場には思っていた以上にバイクが集まっている。クシタニスタッフにホットコーヒーをいただいて辺りをブラブラする。道路の向こうには琵琶湖が広がっている。
「おい」
突然声をかけられ、びっくりして振り返るとあのおじさんがいた。南彦根の焼き鳥屋で、閉店まで話を聞いてくれたあのおじさんだ。もしかしたら会えるかもしれないと思ってはいたものの、本当にここで会えてしまうとは…。
「何してん?」
そう言われてどう返事をしたらいいのか、すぐに思いつかなかった。
「…おじさんにお金を渡しに来たんですよ。ほら、あのときの飲み代」
「ほおーう」
そう言って、おじさんは笑っていた。
「免許とって、バイクに乗ってまでしてかあ?」
俺も笑った。
「ガソリン代にでもせえ」
おじさんの手にもクシタニのコーヒーがあった。一口飲んで言った。
「これからどうするん?」
「日本海を見て、戻ろうかと」
「一人でか?」
「はい。一人で」
おじさんは満足げな笑みを浮かべて、俺の肩をポンと叩いた。
「いい顔しとる」
そう言って背を向け、俺から離れていった。たくさんいるライダーの人混みの中に紛れていき、いつの間にかおじさんの姿は見えなくなっていた。
おわり
舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
# 8 リバーステーションWestWest(徳島県三好市/10月中旬)
「平家伝説、祖谷のかずら橋とカタナ乗りの助け船」 作/武田 宗徳
本当は、京都から静岡に帰らなければいけなかったのだけど、僕は今、何故か四国にいる。京都のアパートからオートバイを走らせてきて、昨日は徳島の安宿に宿泊した。
静岡から京都の大学に進学して、僕は4年生になっていた。
今から4年前、卒業後は地元静岡の企業に就職する、という両親との約束のもと、希望の大学を受験した。無事合格し、自宅から通うことのできない京都の大学へ進学した。
先日、就職を志願していた会社から内定の連絡があった。それを聞いた両親が「この土日で静岡に帰って来い」と言った。
内定をもらった企業は関西の企業だ。そんなこと両親にはとても言えず『二輪関連の会社だ』とだけ伝えた。中堅企業に属する二次メーカーなのだろうが、一次にあたる二輪メーカーを、両親はたぶん勘違いしている。
僕は、さらに内陸の方へオートバイを走らせた。今日のうちに帰宅するつもりだ。四国を一周するほど時間もないし、かといって行きたい場所を考えていたわけでもなかった。何せ昨日、急に行き先の変更を思い立ったのだから。
実際に見てみたかった《祖谷(いや)のかずら橋》まで行ってみようと考えた。その橋はサルナシなど葛類でつくられた原始的な吊り橋で、国から重要有形民俗文化財に指定されていた。
川と橋のある風景が好きだ。それを自覚したのは最近のことだ。オートバイで出かけた先で撮りためてきた写真を振り返って眺めていたら、風景写真の半分以上が川と橋の写真だったのだ。これから向かう場所にも、川と橋がある。
途中のパーキングに、たくさんのオートバイが停まっているのを見た。オートバイのイベントでもやっているのだろうか。
《祖谷のかずら橋》は独特のオーラを放って、そこに吊られていた。立て看板を読んで、その異様な雰囲気を感じた理由がわかった気がした。
『1184年、壇ノ浦の戦いに敗れた平家一行はこの山深い祖谷の地に逃れ、平家再興の望みを繋いでいた』という伝説があるとか。この橋は、源氏の討手が迫ってきたときにいつでも切り落とせるように葛を束ねてつくられた、というのだ。
当時から残っている橋ではない。老朽化による崩壊を防ぐためにも、三年に一度、架け替えられているそうだ。橋は当時のものではないが、この橋をつくる技術は受け継がれたものなのだろう。
それにしても山深い場所だ。今は観光地であり、舗装された道路が通り、人もそれなりにいる。でも、今から800年以上前のことを想像すると、本当に誰にも見つからない場所だったのだろうな、と納得できる。四国のど真ん中の山奥。人知れず隠れて生きることのできる場所だったのだ。
何故か、早くここから出なければ、という気持ちが湧き上がってきた。慌てる必要など無いのに、僕は逃げるように葛橋から離れ、駐輪場へ向かった。
国道に向かっていた。途中、食堂で蕎麦を食べた。千円と少しを支払ったあと、財布に残った最後の1枚は5千円札ではなく千円札だったことに気がついた。てっきり5千円札だと思い込んでいた。下に重ねるお札は大きいお札にしている。1万円札は使ったと記憶していたから五千円札があると思っていたのだ。まああとは帰るだけだし、淡路島は高速道路を使わずに下道で帰ればいいや、とその時はあっけらかんにそう思っていた。
かなりの台数のオートバイが停まっているのが目に入り、僕は吸い寄せられるようにパーキングに入っていった。《大歩危小歩危》という渓谷の名勝地に《リバーステーションWestWest》という観光施設がある。今日ここで、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting というオートバイミーティングイベントが開催されていた。
あらゆるジャンルのオートバイが、同じ向き・同じ角度でずらりと並んでいる。自分も空いている場所に同じように停めた。コーヒーをいただけるようなので、そちらのテントに向かって歩いた。ナンバーは、徳島、香川、高知、愛媛…、と四国ナンバーがほとんどだった。
ホットコーヒーをもらうのに少し並んでいた。
「どこから出るにも五千円くらいかかるでしょう?」
クシタニのスタッフとライダーの会話が耳に入ってきた。
「だから俺、クルマとか普通二輪で四国から出たことがないんだよ」
話を続けるライダーは四国に住んでいる人のようだ。話を聞いているクシタニスタッフは「そうなんですかあ……」と驚いていた。
「しまなみ街道からは出たことあるよ。あそこは小型二輪なら無料で出られるから」
それを聞いた僕は不思議に思って、携帯電話で調べてみた。
調べた結果に愕然として、青ざめてしまった。四国から橋を渡って本州に出る方法は、淡路島・瀬戸大橋・しまなみ海道の3つあるが、どこも渡るのに五千円くらいかかるのだ。下道なんて有って無いようなものだ。ETCがあれば安くなるし、淡路島で海峡を渡る箇所だけ料金を払うような最安コースも考えたが、それでも三千円ほどかかり、手持ちのお金では渡れない。
僕はまだ学生で、ETCカードはもちろん、クレジットカードも持っていなかった。キャッシュカードはあるけど、ここに向かう途中に口座のお金を全部おろしてしまっていた。
帰れない、のか……?
どうやら僕は四国に閉じ込められてしまったみたいだ。
ふと、さっきの祖谷のかずら橋で知った平家伝説を思い出した。彼らは望んで山奥の祖谷まで来た。そこからしばらく出るつもりもなく。でも僕は違う。軽い気持ちでふらっと四国に立ち寄って、そのままスッと出ていくつもりだった。……そんな風に、軽い気持ちで来てはいけない場所だったのだろうか。祖谷のかずら橋で僕を襲った『ここから早く出なければ』という気持ちは、本能から来た直感だったのか……。
大袈裟かもしれないけど、想像が膨んでそんなことを考えていた。
でも実際、僕は四国から出られなくなっている。
ん、そうだ。
親に電話して、このキャッシュカードの口座にお金を振り込んでもらえばいい。
そう思いついたのもつかの間、そんなことできないよな、と思った
親元を離れたくて、親に頼らず、ひとり自由に生活したくて、関西の企業を志願したのだ。だいたい今、実家に帰る約束を破って四国にいる僕が、そんな連絡できるわけがなかった。
できないし、したくなかった。
青ざめた顔で考えていたのだろう。それがブツブツと声に出ていたのかもしれない。
ひと回り年上と思われるカタナ乗りの男性が「大丈夫か?」と声をかけてくれた。四国に住むライダーだった。説明しようと話すことを考えていたら、自分が情けなくて恥ずかしくて……。でもその声掛けは本当に嬉しかった。
僕は訳を話し始めた
旅の恥はかき捨て。
そんな言葉が頭に浮かんだものの、あのお兄さんとはまた会うような気がしてならない。それも何回も。そうなるとかき捨てにならない恥となる。会うたびに思い出される恥だ。
これは、若さ故に許された失態だ。
僕は神戸から京都に向かって下道を走りながら、さっきのやりとりを振り返っていた。
あのお兄さんは見ず知らずの僕に一万円を貸してくれた。
『なんで僕を信じてくれるんですか』
僕は信じられなくて、そう聞いた。
『君はまた四国に来る。それも何回も』
カタナ乗りのお兄さんはそう断言した。
『そんなの、なんでわかるんですか』
そう言いながら実は自分も、また四国に来るだろうと思っていた。お兄さんは笑いながら僕の肩をポンポンと叩き、
『日が暮れるぞ』
とだけ言った。
内定をもらったのは関西の企業だ、と告げたときの両親の反応は意外だった。
『きっと関西でいろんな刺激を受けているはずだから』
『私らが何を言っても、自分のしたい方向へ進むのだろうと思っていた』
『卒業したら、静岡を離れるだろうと覚悟していた』と。
初めて、両親が僕を大人と認めてくれたと感じた。
僕は親元を離れる。自由になるために。そのためには自立した大人になる必要があった。
自立した大人になるために、僕は再び四国に行く。
四国に自立した大人として認められるまで、僕は何回も、四国に行くだろう。
バイク小説短編集 Rider's Story
武田宗徳 オートバイブックス
おわり
舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
#7 道の駅 いりひろせ (新潟県魚沼市/10月上旬)
「あれから9年、あなたとオートバイに出会った入広瀬 」 作/武田 宗徳
今年も夫と二人、バイク二台でここに来た。朝方まで雨が残っていたのにも関わらず、《道の駅いりひろせ》に入ってくるオートバイはあとを絶たない。
今日は、ZuttoRide x KUSHITANI コーヒーブレイクミーティングの開催日だ。
クシタニコーヒーを片手に隣で出店しているオートバイの本屋を覗いてみる。テーブルの端に募金箱のようなものがあった。《静岡水害復興支援》と表示されている。
夫もそれに気づいたようだった。私と目が合うと彼は目をつむって静かに頷いた。私たちは手持ちの小銭をそこへ入れた。
コーヒーを飲み終えて、鏡ヶ池の方へ歩いて向かった。紅葉はこれからだが、木々に囲まれて静かな池の周りを歩くだけでも気持ちがいい。雨上がりの森の匂いが立ち込める中、一周20分ほどの遊歩道を二人でゆっくり歩いた。
女神像の手前で夫はベンチに腰を掛けた。私は持ってきたカメラで風景を写真に収めた。「お昼どうする?」と夫が聞いた。「少し早いけど、ここで食べたい」と私は答えた。
湖上レストラン鏡ヶ池に入り、テーブル席に向かい合った。私の食べたいメニューは決まっている。きのこメインの鍋「山ごっつぉ」と一緒に食べる魚沼産コシヒカリの白米がメニューに冠されている定食「白まんま定食」だ。この時期「山ごっつぉ」は山菜の春メニューから、きのこの秋メニューに変わり、白米は新米に切り替わる。
魚沼の白まんま…、と白いご飯を頬張る。
向かいの夫が何か思い出したのかニヤニヤし始めた。そして話し出した。
「おまえ、白いご飯が好きだよなー」
「うん」
「初めて会ったとき覚えてる? ここでお昼を食べ終わったあと『電車に乗り遅れちゃった』って言ってたけど…、あれ本当は最初からわかっていたんじゃないか?」
「…なんで、そう思うの?」
「だって入広瀬駅から小出駅に戻る電車は10時頃の一本を逃すと17時過ぎまでないんだ。10時オープンのここで食事をしたら、明らかに乗れないだろ」
笑いながら、夫は続けて言う。
「白まんま食べたかったからってさー、食いしん坊すぎるだろー」
私も吹き出した。
「そうだねー」
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
夫と初めて会ったのは今から9年前の2013年だ。
あのときはまだ、オートバイのことを何も知らなかった。
25歳だった私は、自宅のある埼玉県熊谷市から一人電車を乗り継いでJR只見線というローカル線に乗って来ていた。写真好きなら一度は乗りたい全国屈指の秘境路線だ。
当時は土日出勤の会社に勤めていた。土曜日のあの日は、珍しく社長が休暇をくれた。確か先週まで世間では三連休が二回続いていて、長い繁忙期が少し落ち着いた頃だった。
疲れていたのだと思う。お客様のクレームが立て続けに起こり、後輩たちからも不満や文句が出た。それらを解決したり聞いてあげたり、いつになく体力も気力も使っていた。
少しの間だけでもいい、仕事のことから解放されたい、とそのときは思っていた。
JR只見線は、福島県の会津若松駅から新潟県魚沼市にある小出駅までの豪雪地帯約135kmを結ぶ鉄道だ。《紅葉の美しい路線》全国第一位に選ばれたり、《世界で最もロマンチックな鉄道》と言われたりする全国屈指の秘境路線だ。
「有給を合わせて連休にしたら?」と社長は言ってくれた。「写真を撮るのが好きなら…」と只見線の存在を教えてくれたのも社長だった。
良いタイミングだった。煩わしいことを少しの間忘れたくて、私は自宅のある熊谷市から電車を乗り継いでここまで来た。《道の駅いりひろせ》はJR只見線の入広瀬駅から歩いて行ける距離にあった。
道の駅いりひろせにくると、駐車場にたくさんのオートバイが停まっていた。この日はたまたまオートバイのミーティングイベントが開催されていた。
一台のオートバイに目が留まった。鮮やかで美しかった。森の木々を背景にくっきりときれいに見えた。写真を撮りたくなった。近くから、遠くから、右から左から、そのオートバイをジロジロ見ていたのだと思う。振り返ると背の高い男性がすぐ後ろにいた。「バイク好きなんですか?」と声を掛けてきた。このオートバイの持ち主だった。
オートバイのことを何も知らない私に、彼はお昼を奢ってくれた。さらに電車に乗り遅れた私を、小出駅まで送ってくれるという。彼は自宅のある長岡市に戻った。クルマに乗り換えてくると思ったら、ヘルメットをもう一つ持ってきた。
小出駅までという約束だったけど「やっぱり上越新幹線の停まる浦佐駅まで行く」と言ってくれた。
生まれて初めてオートバイの後ろに乗った。オートバイを操縦している彼の後ろで風を切っていた。「動かないで、荷物になったつもりで」と彼は言った。私はその通りにしていた。
浦佐駅が近づいてくると「高崎駅まで行こうか」と彼が言う。
「だったら熊谷まで」と口にしてしまった私。
結局、道の駅いりひろせから熊谷駅まで、彼と一緒に移動してきた。オートバイで。二人乗りで。
オートバイの楽しさを知った私は、その後一年も経たないうちに免許もバイクも手に入れた。婚約者も。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
私たちは湖上レストラン鏡ヶ池で、あれから9回目となるお昼を食べ終え、店の外へ出た。雨はすっかり上がって、青空が広がっていた。クシタニコーヒーブレイクミーティングも終了時刻を過ぎたようで、片付けを始めていた。
「入広瀬駅まで歩かないか」
夫の提案に私は頷いた。東へ向かって並んで歩いた。10分もすればJR只見線の入広瀬駅に着く。
到着した駅でポスターを目にした。
《 2022年10月1日、約11年振りに全線運転再開 》
今から11年前、震災と新潟・福島の豪雨災害の影響で会津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅を結ぶこのJR只見線は、路盤や橋梁が流失し、ほとんどの区間で運行ができなくなった。私が初めて入広瀬に訪れたのは、その2年後のことだ。大部分の区間で運行ができていたが、それでもまだ不通区間があった。
2022年、最後の不通区間が開通し、只見線は11年振りに全線運転を再開した。つい一週間前のことだ。
夫の顔を見た。よかったよな、というような笑みを見せた。私もよかったと思った。
そして、あなたと出会えてよかった、としみじみ思った。
道の駅いりひろせまで戻ってきた。オートバイが停めてあるところまで来ると、ヘルメットを被ったり、グローブを嵌めたり、帰宅の準備をする。これから私たちの自宅のある埼玉県まで走って帰るのだ。
「ねえ。初めて会ったとき、二人乗りで熊谷まで乗せてくれたよね」
私は夫に声をかけた。続けて聞いた。
「長岡にヘルメット取りに行ったでしょ。クルマは無かったんだっけ?」
「え?」
「あのときクルマに乗り換えてくるのかな、と思ったから…」
少し困った表情をして「無かったかも」と小さな声で言うと、夫はシフトを落としてスロットルを捻った。私が何か言う間もなく、夫は道の駅の出口へ向けていってしまった。私もオートバイであとに続く。
はぐらかされた感じがした。
でも、それでいい。それがあって今があるのだから。
あなたは、クルマが無かった。
私は、白まんま定食を食べたかった。
そういうことで。
おわり
バイク小説短編集 Rider's Story
武田宗徳 オートバイブックス
舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
#6 道の駅 路田里はなやま (宮城県栗原市/7月上旬)
初夏の路田里はなやまに吹いた
ルネッサの起こす巡り逢いの風 作/武田 宗徳
2022年
ー3月―
タンクに触れていた右手を離して、馴染みのバイクショップをあとにした。振り返ると店長が店の入り口に立ってこちらを見ていた。俺がこのバイクショップに世話になり始めた頃、彼はまだ高校生だった。いつものように駐輪場へ向かって歩いていたことに気付いて、自分の足を駅に向け直した。
(しばらく、来なくなるかもしれないな)
そう思ってもう一度振り返ると、まだ店の前に店長が立っていた。目が合うと彼は手を大きく上げた。俺も手を振り返した。
26年間、1台のバイクに乗り続けてきた。それを今、手放してきた。
この先、またバイクに乗ることになるのか、ならないのか…。
このまま乗らなくなるのかもしれないし、また乗るようになるかもしれない。
―5月―
「あった!」
一人でいるのに大きい声を出してしまった。我に返って、私はもう一度パソコンの画面に顔を近づけた。
ヤマハルネッサ、フルノーマル、オレンジ。
間違いない。やっと見つけることができた。
昨年末から毎週のようにチェックしてきたバイクが売りに出ていのを中古バイクサイトで見つけた。しかもワンオーナーだ。嬉しくて、しばらく目を細めて車両の写真を見ていた。
きれいだな。うっとりしてしまう。オレンジ色のルネッサは個人的な思い入れもあった。
販売しているバイクショップは宮城県仙台市だった。ここ静岡県焼津市から500キロ以上も離れている。
―7月2日8時半―
俺は友人と二人で、自宅のある仙台から北へ50キロほど離れた場所にある《道の駅 路田里はなやま》に来ていた。この日は、ZuttoRide x KUSHITANI コーヒーブレイクミーテイングが開催されていた。
この友人っていうのが、親友なのかもしれないが悪友だ。なんせ俺がバイクを手放していたことを知っているのにバイクイベントに誘ってくるのだから。
ヤツの愛車はBMWのサイドカーだ。俺はその『サイド』に乗せられてここまでやってきた。
―7月2日9時―
先月、焼津から仙台まで行ってきた。バイクショップで実車を見たとき、ビビッと感じて即決した。実写を見て『何か違う』と思うかもしれないと覚悟してはるばる来たけど、そうならなかった。むしろ自分の頭の中に描いていた理想とぴったりだった。驚くくらいに。同じノーマル車両で同じ色なら、どんな車両でもそう感じただろうか。
その日に必要な書類を持ち帰った。そして先週、地元静岡でナンバーを発行した。
今日はそれを持参してきた。ヘルメットとブーツも。
―7月2日9時半―
だいぶ日差しが強くなってきた。暑くなりそうだった。
なんて台数のバイクだ。ここに、これほど多くのバイクが集まっているところを今まで見たことがなかった。若いライダーや女性ライダーも多い。誰もが皆、楽しそうにしている。
おいおい、これじゃまた乗りたくなっちまうだろうが…。
―7月2日10時―
小学生の頃、近所に住んでいた一回り年上のお兄さんがこれに乗っていた。オレンジ色のきれいな形をしたバイクだと思っていた。お兄さんは大きな体をしていたけど、背中を丸めてそれに乗っていた。
きれいなバイクなのか、黒ずくめの大柄なお兄さんなのか、そのバイクに跨っているお兄さんとの全体のシルエットなのか、当時小学生だった私に印象を残した。
私がバイクに乗りたくなった10年前、すっかり忘れていたお兄さんとバイクのことを思い出した。自動二輪の免許を取って、バイクに乗り始めてからも、あのオレンジ色のバイクと大柄なお兄さんのことを時々思い返していた。記憶は薄れることなく、ますます鮮明に蘇っていった。
あのバイクに乗りたい、と強く思うようになっていた。そうして、あれは何というバイクだったのか、というところから調べ始めたのだ。
私は念願のバイクに跨って走っている。仙台のバイクショップを出発し、北上している。もうじき《道の駅 路田里はなやま》に到着する。
―7月2日10時半―
俺が乗っていたのと同じバイクは、まだここで見ていない。あれは不人気車で、生産台数も少なかった。だけど、気に入っていた。
若い頃から趣味も考え方も少数派で、誰かに認められるなんてこともなかった。
地元は静岡県焼津だが、大学を卒業して就職のタイミングで上京した。仕事は長続きせず、転職を繰り返していた。地元静岡にも帰らず30過ぎまでフラフラしていた。今は宮城県で仕事をして仙台市に住んでいる。
30代から世話になっている会社で40歳を超えた頃から、何故だか評価されるようになった。仕事は以前より楽しくなったが、忙しくもなった。
バイクに乗る時間も取れなくなっていた。
実家にいた大学時代から今年の3月まで、愛車ヤマハルネッサは、俺と一緒に連れてまわってきた。26年間ずっと、俺のそばにいた。
このまま手元に置いていたら腐らせてしまう。
数年前から、そう考えるようになった。
こいつを大事にしてくれる誰かに譲りたかったが、そんなあてもなかった。結局、今まで世話してもらっていたショップに引き取ってもらった。
―7月2日11時―
道の駅のパーキングにバイクを停めた私は、クシタニコーヒーをもらいに歩いていた。少しでも動くと汗が出てくる。白い雲が青空に鮮やかだった。
たくさんのバイクが並んでいた。ライダーはみんな楽しそうにしていた。
ルネッサは良かった。適度な鼓動とサイズ感が、自分にちょうどよかった。バイクにぴったり収まっている感じと、自分で操縦できている感覚があった。初めて走る山道も楽しめるほどだった。
クシタニスタッフにコーヒーをもらうとき、嬉しくて一人ニヤニヤしてしまいそうなのを必死で堪えていた。
柔らかい風が吹いた。
鼻をかすめた夏の風が、何故だか私を郷愁に誘った。私は振り返った。あたりを見渡した。
懐かしい匂いがした。…したような、気がした。
コーヒーの入ったカップを片手に、あたりを見渡しながら愛車の方へ向かった。
―7月2日11時―
一台のバイクが駐車場に停まっているのに、今気づいた。あれはルネッサだ。しかも、俺が乗っていたのと同じカラーだ。まだ乗っている人がいると思うと、嬉しくなってしまう。
乗り手は、どんな人なのだろう。
俺は、あたりを見渡した。
少し考えたあと、ゆっくり歩き始めた。
そのオレンジ色のバイクに、近づいていった。
おわり
舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
#5 道の駅 笠岡ベイファーム(岡山県笠岡市/6月下旬)
「Wの親父の居る場所へ」作/武田 宗徳
坂を登り切るとT字路に突き当たり、その信号を左折すると右側の眼下に海が見えるてくる。そして海のすぐ脇に、カブトガニの形をしたドーム状の建物がある。
笠岡市立カブトガニ博物館だ。ここに来るつもりは、なかったのだけど…。
この海の先にあるはずの島の方を見た。ここからは見えないが、ほんの数キロ先に白石島という島がある。片岡義男の小説「彼のオートバイ、彼女の島」の舞台となった島だ。1977年に発表され、同年に単行本発売。文庫化も1980年だから、90年代生まれの僕にとって、知らなくて当たり前のような作品だ。その島へ行くつもりだった。そこで写真を撮って東京のバイク仲間に自慢しようなんて思っていたけど、何か違うような気がして…。
平日の昼下がり。太陽が強い日差しを照りつけていた。まだ6月なのに真夏のような暑さだった。オートバイを停めた駐車場から、汗を拭きながら歩いて恐竜公園を通り過ぎ、博物館に入った。
静かな空間だ。水槽に薄汚れたように見えるカブトガニがいた。生きているのだろうけど、ピクリとも動かない。こんな生き物を、たまたま海で見かけたら驚いてしまう。何度見ても、現代の生き物とは思えなかった。
「生きた化石」
そう表示されたコーナーには、カブトガニの他にシーラカンスの標本が展示されていた。太古の時代から進化せず、変わらない姿で今も生きる生き物のことだ。うまく表現した言葉だと思う。
岡山から東京の大学に進学し、そのまま就職した。シティーボーイを気取って、東京という街に馴染もうとして、自分を変えようとして、頑張って…、そうして3年が過ぎていた。
この2年は、実家にも帰っていなかった。
オートバイを停めた駐車場へ戻った。明日はクシタニコーヒーブレイクミーティングが開催される《道の駅 笠岡ベイファーム》へ行く予定だ。市内にある実家には顔を出さず、そのまま東京へ戻るつもりだった。
― 翌日 ―
今日も暑くなりそうだった。道の駅笠岡ベイファームの駐車場には、朝早くからたくさんのオートバイが並んでいた。
特徴のある排気音が近づいてくる。カワサキW3がこちらに向かってきているのが見えた。あれは、親父か…? 目を凝らしてよく見てみる。…間違いない。見覚えのあるウエアを着ている。まだ、あれに乗っているのか…。
これほど大勢の人間と、たくさんのバイクが集まっている中で、なぜか親父は僕がこの会場にいることに気付いたようだった。停めようとしていたバイクを方向転換させ、こちらに近づいてくる。
僕のW800の隣にW3が停まった。親父はヘルメットを脱ぐなり、大きな声で言った。
「来てたんか、なんでもっと早くに言わん」
口調はキツいが、表情は柔らかく見えた。親父は何も変わっていないように見えた。2年間で、目に見えてわかる変化なんて無いのかもしれない。だけど気のせいか少し細くなったように見えた。
しばらくお互いに黙ったままだった。そのうち親父はフラリとどこかへ歩いて行ってしまった。トイレなのかもしれないし、飲み物を買いに行ったのかもしれない。
親父は何も言わなかった。息子が久しぶりに帰ってきているのに、実家には顔を出さないでいる。何か聞かれるかと、構えていたのだけど。
親父はハンバーガーを二つ持って戻ってきた。キッチンカー「SOLO」で買ってきたと言った。二人で日陰のあるベンチまで歩いていき、並んで腰をかけた。
「昨日、博物館行ってきた」
僕の言葉に、親父は振り向いた。
「カブトガニか」
親父はハンバーガーを一口かぶりついた。口の脇についたソースを指で拭った。
「あいつら《生きた化石》て、太古から進化する必要のなかった生き物とかゆーけん…。じゃけえ、生きてける場所はもう限られとる。ここと北九州だけじゃ」
「……」
「まあ、進化せんでも生きてける場所がある、そういうことじゃが」
「あのW3の方ですか?」
ハンバーガーを食べ終わった頃、男性に声をかけられた。ちょうど、僕と親父の中間くらいの年齢、40代に見える。
「写真を撮らせてもらえませんか?」
関東の発音で話しているから、地元の人ではなさそうだった。
「雑誌に載ってしまうかもしれませんが」
と続けた。《オートバイライフ》という年4回発行の雑誌に載るかもしれないということだった。また《ザ・シーズン》という月間の旅行誌に掲載されるかもしれない、とも言う。少し考えていた親父が、顔を上げた。
「息子のWと、2台でお願いできますか」
彼の指示する場所に、W3とW800、新旧2台のWが並んだ。手に持ったカメラを微妙に動かしながら、どこから撮るか確認している。
その脇で、僕と親父は僕たちのバイクを眺めていた。前を向いたまま親父が言った。
「笠岡へ、帰ってこんか」
突然の呟きに驚いて、僕は親父を見た。親父は、前を向いたまま続けた。
「おめえ、東京で生きていけるんか」
僕は、黙ってうつむいた。
「…笠岡へ、帰ってこい」
カメラマンが僕たちを呼んだ。
「じゃあバイクの前に並んでもらってもいいですか? 今度は人物も!」
親父はバイクの方へ歩いて進んでいった。僕もあとをついていく。
「笑顔くださいねー」
カメラマンは元気に声をかけてくる。笑顔をつくろうとしても、泣き笑いになってしまう。横にいる親父を見た。
いい笑顔をしていた。それは、とても自然な笑顔だった。
おわり
舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
#4 交通教育センター レインボー浜名湖(静岡県浜松市/6月中旬)
「浜名湖 舘山寺、決意の志ぶき橋」 作/武田 宗徳
「ごめんね。その日、予定あって」
どこへ行くとも言う間もなく、彼女はキッパリそう答えて、
「じゃあね」
と手を挙げて走り去っていってしまった。交差点でバイクを傾けて曲がっていく彼女の姿が見えなくなるまで、僕はその姿を追っていた。
毎月中旬の土曜日に、彼女と二人でバイクに乗って出掛けるようになっていた。二人の都合が合うのが、そのくらいの日だった。昨年の秋、付き合い始めた頃は、僕のバイクのタンデムシートに乗っていた。冬の間に彼女は普通自動二輪免許を取得し、今は自分のバイクに乗るようになった。2台でツーリングに行くのは、今日で3回目だった。次の6月は、地元浜松で開催されるクシタニコーヒーブレイクミーティングに一緒に行けると思っていたけど、彼女の都合が悪いみたいだった。
会場の「交通教育センターレインボー浜名湖」は、奥浜名湖と呼ばれる地域にある。観光名所で知られる舘山寺から5キロと離れていないし、手入れの行き届いた庭園で知られる龍潭寺や、鍾乳洞で有名な竜ヶ岩洞も、ほんの数キロ先にある。二人でそんな観光ツーリングができることを、妄想していたのだけど。
その日は午後から雨予報だったので、僕はオープン早々から「レインボー浜名湖」に来ていた。すでに会場にはたくさんのバイクが停まっていた。
クシタニのホットコーヒー片手に会場を眺めていた。一人で来ているライダーもいるし、グループで来ているライダーたちもいる。男女が混ざり合ったグループもいるし、カップルで来ているライダーもいる。
二人で来たかった。心底そう思っていた。
10時になると隣でバイクのスクールが始まった。「交通教育センターレインボー浜名湖」は、バイクやクルマの運転技術を教えてくれるスクールを毎日開催している。イベントのある今日も、変わらずスクールは開催される。
受講ライダーたちが順番にスラロームを抜けていくのを、コーヒー片手にぼんやり眺めていた。続いて、Uターンのトレーニングが始まった。
最初のツーリングであいつ、Uターンできなかったんだよな。
だから次のツーリングで、Uターンも坂道発進もしないで済むように気をつけたんだ。
女性グループのUターントレーニングが始まった。二人目のライダーが気のせいか彼女に似ている。もう一度しっかり見てみた。まさか。あれは間違いなく、彼女だ。
ターンの途中でバイクを倒してしまった。トレーニング車両であるとはいえ、そんな彼女の姿を見るのはショックだった。やっぱりUターンが苦手なのだ。
練習を繰り返す彼女を見ながら、二人のこれまでのことを思い返していた。
タンデムシートに乗った彼女は、自分でバイクに乗りたくなって免許を取った。教習所に通っているなんて知らなかったから報告を聞いたときは驚いたけど、「びっくりした?」と聞いてきた彼女の嬉そうな笑顔は今もはっきりと印象に残っている。
いつだか彼女に「バイクにずっと乗っていたいんだ」と話したことがあった。
そして今、彼女は僕に何も言わないでバイクのスクールでトレーニングをしている。もっと上手に運転できるようになりたい、と自分で思ったからなのだろう。彼女の運転が上手になったら、二人で行くツーリングはもっと楽しくなるかもしれない。
…彼女も、ずっとバイクに乗っていたいと思ったのだろうか。
もしかしたら、自分ともずっと一緒にいたいと思って…。
いや、それは考えすぎかもしれない。
インストラクターの言葉を真剣な表情で聞いて頷いている。何かアドバイスをもらっているのだろう。その直後は2回ともスムーズにUターンができた。目線がよくなった。明らかに上達しているのが僕の目から見てもわかる。
その場にいられなくなって会場を飛び出した。
お昼休みまで待って、彼女と会うこともできたかもしれない。でもそれは、何か違う。
舘山寺温泉街まで走ってきた。赤い橋のそばで、西に広がる浜名湖を眺めていた。
湖西ナンバーのカブが2台、橋の手前に並んでいて、その横で女の子二人が笑顔をつくっている。向こうの歩道に置いてあったカメラのシャッターが自動でパシャリとおりた。
クシタニのウエアで上下揃えている僕が、地元浜松で開催のクシタニコーヒーブレイクミーティングに行かないわけがない。そんなの、彼女だってわかっていたはずだ。
考えすぎかもしれない。でも、そうだとしたら…。
なんて健気なヤツなんだ。なんて控えめで、なんて前向きなヤツなんだ。
前から思っていた。あいつとずっと一緒にいられたら、と思っていた。
本当のところはどうなのかわからないけど、スクールで見た彼女に背中を押されたような形になってしまった。
迷うことはなかった。決意はもう、完全に固まっていた。
おわり
舞台は、ZuttoRide x KUSHITANI Coffee Break Meeting
第3回 道の駅 飯高駅 三重県松阪市/6月上旬 作/武田宗徳
「松阪でモンスターに救われた 〜若い僕のドゥカティ〜」
定時を過ぎると、僕は誰にも気づかれないようにタイムカードを押して、逃げるように会社を後にした。今週中に終わらせなければならない仕事が残っていた。明日の土曜日は休日だけど、自分は出勤しなければならないと思うほどの仕事量だった。
自宅のアパートに戻ると、リュックひとつ背負って駐輪場へ向かった。納車してから、まだ思うように乗ってやれていない大型バイクに跨ると、エンジンに火を入れ一路西へ向かった。
東京の喧騒が、ゆっくりと遠ざかっていく。
何も、考えたくない。
誰とも、話したくない。
安堵を感じつつも不安の入り混じる心境のなか、僕は色々なことを放り投げて走っていた。
このまま会社を辞めることになっても、いいや…。
誰も僕のことを知らない場所へ、向かっていた。
東名高速道路の浜名湖サービスエリアでトイレに立ち寄った。用を済ませ、自販機で買った缶コーヒーを片手に携帯を見ると課長からの着信があることに気づいた。たぶん「あれは終わったのか」と聞いてくるのだろう。
主任という肩書きではあるが、20代の役職付きは自分だけだった。担当している日常業務に加え、部署内の必要な資材の発注、製品クレーム処理、新人の教育、派遣・アルバイトの管理から、悩み相談、掃除の分担決めもやる。最近では部署の範囲を超えて、全体を見る業務も加わりはじめていた。
僕は携帯電話の電源を切った。ふうっ、と大きく息を吐いた。
時間は20時を過ぎていた。このまま走り続けて名古屋の辺りでビジネスホテルに泊まるつもりだった。
気づいたら寝ていた。シャワーも浴びないままベッドに横になり、そのまま寝入ってしまったのだろう。チェックインしたのが22時くらいだったから、9時間は熟睡した。今週は睡眠時間も少なかったし疲れていたとは思うが、しかしながら、こんな状況で熟睡できるなんて我ながら大した奴だと思った。
土曜日の今日は、三重県でバイクミーティングイベントがあると知った。スマートフォンでSNSを眺めていたらそんな情報を見つけた。「ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング」が、松阪市の「道の駅 飯高駅」で開催される。
と、携帯電話が鳴り出した。課長からだった。時間は午前8時すこし前。自宅からだろうか…。
出ることにした。
電話の向こうにいる課長の口から出てきた言葉は予想と違った。「仕事を終わらせないまま黙って帰るなんて、今までそんなこと無かったから、心配していた」と穏やかな口調で言った。そして「仕事は俺が終わらせた」と。「だからこの土日は、安心してゆっくり休め」とも。
電話の奥から聞き覚えのあるチャイムが聞こえてきた。会社のチャイムの音だ。時間はちょうど8時を指していた。
梅雨入り前の気持ちよく晴れ渡った土曜日の朝。強い日差しの照りつける「道の駅 飯高駅」には、たくさんバイクが集まっていた。クシタニスタッフの淹れるコーヒーを片手に、ライダーたちがイキイキと楽しそうにしていた。
僕は会場のすみにいた。愛車のそばの縁石に腰をかけてクシタニのホットコーヒーを飲んでいた。
初めて訪れる場所だった。三重県は新名神高速の通る鈴鹿や亀山あたりまでで、松阪も伊勢も鳥羽も志摩も訪れたことがなかった。僕は三重県をほとんど知らない。縁もゆかりも、来たこともない土地だから、自分のことを知る人だって、もちろんいない。
何も考えたくない。誰とも話したくない。それを望んで、ここまで来たはずだった。
「東京からですか?」
突然、声をかけられた。顔を上げると女性が一人こちらを覗き込んでいた。
「私もモンスターです」
僕のドゥカティの隣に、いつの間にか色違いのモンスター696が並んでいた。赤と黒、2台とも八王子ナンバーだ。
「おーい」
向こうから、もう一人女性がバイクを押して近づいてくる。あれは白いモンスター696だ。
「3色並んだ〜!」
二人は楽しそうにはしゃいで写真を撮っていた。
「お友達ですか?」
僕は最初の女性に聞いた。
「いえ。今、初めて会ったんですけどねー!」
「ねー!」
二人がまた笑い合っている。見ると白い方のドゥカは京都ナンバーだ。初対面同士の三人で、自然と会話が始まった。黒いドゥカの彼女は東京の出版社で働いていて僕と同じ28歳。一方、白いドゥカの彼女は21歳の大学生だという。
黒の彼女はバイク雑誌の編集部員で取材も兼ねてここに来たという。白の彼女は実家が熊本県で、今は一人暮らしをして京都の大学に通っているという。家族全員がバイクに乗る環境で育ち、先月、阿蘇の瀬の本レストハウスで開催された「ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング」に父親らが参加したという。「父に、楽しかったからお前も飯高まで行って来い、と言われて…」と笑いながら話していた。
いろんな人がいるのだな、と実感を伴って思っていた。バイク雑誌編集部員の女性に、大型バイクに乗る京都の女子大生…。普段、自分が関わることのない人がたくさんいる。自分の中の世界なんて、まだまだ小さい。
同時に大嫌いだった課長のことも思い出していた。「仕事は終わらせた」と言っていた。僕の残した仕事は2、3時間程度の残業では、とてもやりきれないはずだった。徹夜したのかもしれない。そんな人間だとは、ちっとも思っていなかった。いつも近くにいる上司のことすら、よくわかっていなかった。
20代の僕は、何も知らなかったし、何もわかっていなかった。若気の至りとはいえ今となっては申し訳なかったな、と思う。こんな部下を持った課長の気苦労も、今なら少しわかる。
あれから10年経った。
今年も来た。ここは、三重県松阪市「道の駅 飯高駅」だ。
毎年、開催年には必ず「ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング 道の駅 飯高駅」に来ている。他の会場も都合のつく限り行っている。あのとき飯高駅で知り合った黒いモンスターの彼女とはその後も付き合いが続き、半年後に結婚することができた。このコーヒーブレイクミーティングは僕たちの仲人のような場所なのだ。だからいつも二人で参加している。
僕は今も、あの会社で働いている。
働かせてもらっている。
まわりの人たちに感謝している。
バイクと出会えたことに、感謝している。
おわり
舞台は、ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング
第2回 道の駅 加子母/岐阜県中津川市 /4月中〜下旬)作/武田宗徳
「過ぎ去りし春を迎えた中津川」
「中津川まで走ろうぜ」
4月に入って、仲間から何度かバイクツーリングに誘われていた。
しかしどうしてだろう、そんな気になれない。毎年4月は「さあ、今年も頑張るぞ」という気持ちになるのに、今年はそうならない。仕事だけでなく、プライベートでもやる気が起こらないのだ。
大好きなバイクツーリングの誘いだ。季節もいい。いつもなら即答しているところなのだが…。
誘ってくるのは定年退職や早期退職した連中だ。私は定年まであと二年あるし、その後も延長雇用を申請するつもりでいた。
でもツーリングに行く気になれないのは、そんな理由では無いはずだった。
そんな誘いを受けていることを妻にポロッと口にしたら、年が明けてから休日はほとんど家にいる、たまには気分転換するといい、などと中津川に行くことを勧めてくる。
いつも好きにさせてくれる。出掛けるのは気乗りしないが、心遣いはありがたいと思った。
子供たちが独立して、二人だけの生活が始まって久しい。俺が家に居ない週末、一人の時間も欲しいのだろう、とも察した。
集合が朝4時半と聞いて「早すぎる」と文句を言ってしまった。新東名高速「浜松いなさ」インターのあたりで集合し、257号線を北上するという。
中津川まで下道で行くというのはわかる。道の駅加子母で開催されるクシタニコーヒーブレイクミーティング開催日である23日の土曜日に合わせるのもわかる。
だけど集合時間が4時半だなんて…。
前日の金曜日は決まって忙しく、残業で遅くなるのはわかっていた。
ブツブツ文句を言っていた私に仲間は、
「クシタニコーヒーブレイクミーティングは朝7時からだ。加子母まで4時間かかる。お前に気を遣って4時半にしたんだ。本当は3時にしたかったよ」
と、大きな声で笑った。
「らしくないな。集合時間が早くても、文句を言ったことなんて無かっただろう」
別の仲間には、そう言われた。
目がショボショボする。ヘルメットのシールド越しに、朝日を浴びてバイクに跨っている仲間の後ろ姿を見ながら、まばたきを繰り返している。
不思議なもので、乗り出すと気持ちが上がる。やはり、バイクは楽しい。
晴れ男の集団が、快晴の奥三河を縫うように駆け抜けている。前を走るあいつも楽しそうだ。ストレートでは緩やかに蛇行したりしている。鼻歌まじりなのが想像つく。
岐阜県に入り、中津川市に入った。山の中にポツポツと白いかたまりが見えるのに気づいた。あちこちにある。
あれは、桜だ。ここは、まだ咲いているのか。
一本の満開に見える桜が、あちらに、こちらに、ちらほらと点在している。遠くの山々にもあるし、走っているすぐ脇にもあったりする。
控えめでもいいものだな、桜は。
満開の桜が好きだ。毎年必ず桜を見ている。忙しくても、名所まで行けなくても、用事の通りがかりや、移動中でも少しの間クルマを停めて、満開の桜をじっと眺めたりする。そんな風に5分もしない花見をすることがよくあった。
今年の花見はどこでしたかな…。
はて?…、と記憶を遡ってみる。しかし、どうしても今年の花見をした記憶が思い出せない。
道の駅加子母のクシタニコーヒーブレイクミーティング会場に、続々とバイクが集まってくる。たくさんの様々なジャンルのオートバイがズラリと並んだ。そのうちの一台が俺のバイクだ。
クシタニスタッフからホットコーヒーを手渡され、ありがたく頂戴する。俺たちは並んでいるバイクを眺めながら、珈琲を片手にゆっくり会場を歩いて回っていた。
「まだ、桜が咲いていたな」
俺は仲間に言った。
「おお、今年は花見できなかったなあ」
「え?」
俺は仲間の方を振り返った。
「満開の週末は雨だったろう。翌週末は、もう葉桜だし」
そうか…。
俺はたぶん、今年の花見をしていない。
「どちらからですか?」
気の良さそうな中年男性に声をかけられた。俺たちは静岡県浜松市から来ていることを告げ、同じ質問を彼にした。
「仙台からです」
誇らしげに彼は言った。俺たちは目を見合わせて「すごい」と笑い合った。
宮城県か…、いくら遠くても来る人は来るのだな。
仙台の彼がきっかけなのかわからないが、今年も頑張ろうと思えてきた。
帰りに満開の桜を見かけたら、そこにバイクを停めて花見をしよう。
1本だっていい。5分だけの花見をするのだ。
そうすれば、今年の春を迎えることができるかもしれない。
ようやく、俺の中に。
おわり
舞台は、ZuttoRide x クシタニコーヒーブレイクミーティング
第1回 アネスト岩田スカイラウンジ/ターンパイク箱根(4月上旬)作/武田宗徳
「大観山の霧の向こうで」
「こ、今月で⁉︎」
素っ頓狂な声をあげてしまった。裏返った声が恥ずかしくなって、僕は冷静さを取り戻そうと、一旦彼女から視線を逸らした。
東京。中央線沿いにあるバイク雑誌編集部にいた。編集部員の一人である彼女は、今月いっぱいで退社する、と言った。フリーのカメラマンで文章書きの僕は、親しい間柄ではなかったから理由を聞けなかった。
ただ、彼女はバイク業界からも離れるようだった。
「バイクは、まだ乗りますか?」
帰り際に聞いた。
「もちろん。最近もう一台増車したんです」
予想外の返答に思わず吹き出しそうになった。ということは三台持ちになったのか。《増車》というワードも自然に出てくる。すっかりオートバイという沼にはまっている様子だ。
「バイクに乗っていたら、また会えるかもしれませんね」
僕の言葉に、彼女は笑顔を作ってデスクに向き直った。
オートバイに乗って自宅に向かう中、急に悲しい気持ちに襲われた。彼女の退職を知って素っ頓狂な声をあげてしまった理由が、今わかった。
その後、雑誌は更に売れなくなっていった。バイク雑誌も例外でなく、休刊が相次いだ。人気のあったバイク雑誌も月刊誌から隔月間誌となったり、メイン雑誌の付録、いわゆるブックインブックという形へ変更したりするケースも出てきた。
フリーで働いていた僕も、バイク誌のみでは苦しくなって、男性誌や、旅系、ビジネス系の雑誌でも記事を書かせてもらうようになった。その後、ある中堅出版社の専属カメラマン、ライターとなり、そのうちフリーランスから会社員になった。
気がつけば、その出版社が発行している二つの雑誌の編集長になっていた。毎月発行している旅系雑誌と、年四回発行しているバイク雑誌を兼任している。
あのときバイク雑誌の編集部を退職した彼女のことは、すっかり忘れていた。思い出すこともないまま、もう十年が過ぎていた。
明日は昼ごろから雨が降り出す予報だった。東伊豆で撮影を予定しているが、できるだろうか。延期になったら、アネスト岩田ターンパイクで開催されるクシタニコーヒーブレイクミーティングに参加してみようか。朝七時から開催しているから、早く行けば雨の降り出す前に帰って来られるかもしれない。よほどの荒天でない限り開催すると聞いていた。
薄暗い中、都内を出て箱根に向かっている。小田原からターンパイクに乗る頃には明るくなっていたが、空は厚い雲に覆われていた。
晴れていれば眺めの良い景色なのだろう。山頂は雲に覆われている。しばらく走り続けていると、いつの間にか辺り一面は霧に覆われていた。
霧のせいか、ライディングウエアはすっかり濡れて重くなっていた。目的地に近づくにつれて風も強くなっていた。こんな天候で、本当に開催しているのだろうか。
スカイラウンジの駐車場へ入っていく。
四月に入ったとはいえ、標高の高い場所だ。ただでさえ気温が低いのに、強い風と細かい雨粒で、体は完全に冷え切っていた。こんな辛い思いをしてバイクを走らせたのは、随分久しぶりのような気がする。五年…、いや十年振りかもしれない。
バイクでゆっくり駐車場の奥へ進んでいく。濃い霧で遠くまで見渡せないのだが、それにしても、イベントを開催している雰囲気が、まるで感じられない。
もう少し進むと、何かうっすらと見えてきた。テントと、いくつかのノボリ。バイクの排気音と人影。こんな天候でも開催している。
熱々のコーヒーの入ったカップ差し出され、感謝して両手で受け取る。しばらく手先を暖めてから、ひと口すする。ああ、温かい…、生き返った。まわりにいるライダーも皆、同じように感じていることだろう。ホットコーヒーのありがたさを、いつも以上に感じていた。
さっきまで、すぐ帰ろうと思っていたのに…。
だけど何だろう。
今とてもワクワクした気持ちになっている。
この高揚感は、一体…。
「どちらからですか?」
中年男性に声を掛けられた。彼は、宮城県から来たのだという。
「毎回、楽しみにしているんです」
一年を通じて全国各地で開催されるクシタニコーヒーブレイクミーティングを目指して、同じように全国を回って参加するような常連ライダーがいる。
周りを見渡す。女性ライダーもいる。一人と目が合うと、こちらに真っ直ぐ歩いてきた。
「お久しぶりです」
連載していたバイク雑誌の担当編集者だ。十年前に退職していったあの彼女だった。
「お元気そうで」
「ええ、まだ乗っていますよ」
彼女はにっこりと笑顔をつくった。
僕たちは、アラサーと呼ばれていた歳から、アラフォーと呼ばれる歳になっていた。
「初めてライダーの格好をしたあなたを見ました」
僕の言葉に照れ笑いし、うつむいて少し体をよじった。
「また会いましょう」
彼女からの提案だった。そして、「ここで」と付け加えた。
一年後か…。
「本気にしていいですか? 僕、本当に来ますよ」
「…はい」
お互いの目を見ていた。
「忘れないでくださいね、だいぶ先のことですから」
僕は念を押した。
「でも、二週間後ですから、加子母。岐阜県ですよ」
「…へ?」
「クシタニコーヒーブレイクミーティング。次は二週間後、中津川の、道の駅加子母です」
彼女も全国を回る常連ライダーなのか。
遠くから自分の名を呼ばれた彼女は、「気をつけて」と言って、向こうにいる男性の元へ小走りで駆けて行った。二人は手をつないで、駐輪場の方へ向かって歩いて行った。
椿ラインを愛車に乗って湯河原へ下っていた。
自宅のある東京へは帰らず、湯河原か熱海の温泉にでも浸かっていこうと考えていた。明日は日曜日だし、どこか適当な宿に泊まろう。天気も良さそうだから、翌朝から走り出して、伊豆半島を堪能しようか。
恋人だろうか、それとも夫婦…。
バイクで走りながら、ぼんやり考えていた。でも、そのことは関係無く、道の駅加子母へ行きたいと考えていた。アクセルを握る右手や両肩に、つい力が入ってしまう。
楽しいな、バイク。
長いこと乗っていて、今更だけどさ。
愛車のタンクを、両膝できゅっと抱きしめた。
やっぱりいいよな、バイク。
霧雨に濡れた湯河原の温泉街を、味わうように流していた。
おわり