バイク小説 Rider's Story
舞台は、バイカーズパラダイス南箱根
人生最大の難所、箱根峠 〜箱根の山は天下の剣〜 武田宗徳
今日も俺は、バイクに乗って箱根に来ていた。
ターンパイク出口のスカイラウンジで缶コーヒーを飲んでいた。富士山はかすんでいて見えなかった。五月半ばの平日だった。
先週も来ていた。この数ヶ月、たびたび箱根に走りに来ている。関東ライダーにとって定番のツーリングスポットではある。だけど数年前まで近寄ろうともしなかった場所だった。
大学を中退して「漫画家になって成功する」と息巻いて実家を飛び出した。親父は激怒して二度と帰ってくるなと言った。成功するまで実家に戻らないつもりだった。
上京して十二年、干支が一周した。巳年の親父は確か今年六十だから、実家を離れた年も巳年だったのだ。そんな風に思い返して、そのことに気づいた。
「故郷に錦を飾る」という言葉がある。錦とは高級な絹織物のことで、それを着飾ってふるさとに帰ること、つまり、成功・出世して故郷へ帰ることを表したことわざだ。
夢を実現させるために田舎から上京した者は、昔も今も「成功して帰るのだ」という気持ちをどこかに抱いている。逆を言えば、成功しないと帰りづらい、という気持ちもあるはずなのだ。
俺は三十二歳になっていた。一応、連載を持つ漫画家になっている。大ヒットとはいかないまでも、打ち切られるほどの不人気でもない。
でもこれは、漫画で成功した、と言えるのか。漫画で食べているけど生活にゆとりはない。売れる作品を狙ってかけるほどの技量もないだろうけど、今は自分の納得のいく作品を好きなように書かせてもらえている。漫画の仕事はとても満足してやれている。だけど、たいして稼いではいなかった。
成功って何だろう。成功とは、どういうことを言うのだろう。
三十歳を超えた頃から、今まで近づこうともしなかった箱根に、好きなバイクに乗って来るようになった。神奈川と静岡の県境に接している隣の町は、自分の生まれ育った町だった。
昼には帰る予定でいた。椿ラインを湯河原まで出て海沿いを西湘バイパスへと走って帰るつもりだったけど、前回と同じルートもつまらないと思い、反対方向へ行って芦ノ湖インターから箱根新道に乗って帰ろうと決めた。
走り出してしばらく行った先の分かれ道を、誤ってターンパイクの有料道路の方へ入ってしまった。Uターンするのをあきらめてそのまま走った。気持ちのよい道だった。
湯河原峠の料金所を出ると、目の前に「バイカーズパラダイス」という施設があった。この十数年ここまで来たことがなかったから、初めて目にした。
いつからあるのだろう。せっかくだから少し寄ってみることにした。
広い駐車場にはバイクだけがたくさん停まっている。建物は広いうえに天井が高く、大きなガラス窓から外の景色が見渡せた。そんな開放感のある店内には、何台かの車両が展示され、ウエアやグッズなどのバイク用品販売コーナーがあり、カフェの飲食スペースもあった。正面入り口のおもてに並んでいるバイクは、レンタルできるようだ。
仲間と談笑しているライダーたち、一人でコーヒーカップ片手に物思いに耽っているライダー、展示車両を念入りに見ている男性ライダーや、レジ横にかかっているステッカーを選んでいる女性ライダー……。バイク乗りたちは、それぞれ思い思いに楽しんでいる。施設の中も外も、全てがバイクに関連しているモノばかりだ。はじめは少し大げさな印象を受けたネーミングも、いやいや、その名の通りバイク乗りにとってパラダイスのような所ではないか。
カウンターでゲートコストの支払いと一緒にホットコーヒーを注文した。淹れたてのホットコーヒーを受け取ると、窓際の席に座って腰を落ち着かせた。
コーヒーを一口飲んで、ふうっと息を吐いた。疲れが取れたような感じがして、肩の力が抜けた。ホッとした気持ちになった。窓の向こうに駿河湾が見える。まわりにお客がたくさんいてざわざわしているのに、意外と居心地がいい。誰も俺のことを気にしていないし、見ていない。とても広い施設だから、町の喫茶店やライダーズカフェでコーヒーを飲んでいるのと違って、目立つこともない。革ジャンだろうがレーシングスーツだろうが、ここでは誰も気にしない。
「おい」
突然声をかけられて振り返ると同級生のヤマダだった。
「久しぶりだな」
小中学校が同じで、家も近所で、よく一緒に遊んだ幼なじみだ。成人式以来だから、そう、十二年ぶりだった。予想もしていなかった再会を喜び合って、話が弾んだ。高校の違うヤマダは、卒業後地元企業に就職し、今は二人の子を持つ父親となっているという。
「おまえ、全然こっちに帰ってないだろ?」
「帰れないよ。親とケンカして、大学中退して家を飛び出したんだから」
ヤマダはしばらく黙っていたが、やがて話しはじめた。
「酒屋のサトウがさ……」
同級生の酒屋の娘のことだ。初めて好きになった女の子で同じ高校に進学した。一年ほど付き合っていたことがあった。
「帰ってきている」
「え?」
ヤマダは俺を見ながら、本当だとうなずいた。
「確か、東京で就職して、そのまま結婚したって……」
俺が言うと、ヤマダは、
「離婚したみたい、出戻りだ」
と言った。
「ふーん…」
「でもあいつ今、店に立って元気にレジ打ちしているよ」
と、ヤマダは笑った。
「へえ、サトウらしいや」
その姿が想像できて、俺も笑った。
「おまえんちの前もたまに通るんだけどさ。最近親父さん、倉庫でバイク直してるよ」
「は?」
「あれカタナだろ。GSX1100S」
親父はカタナ乗りだった。俺が高校に入る頃に、もう乗らないと思うが手放すつもりも無い、と宣言して廃車手続きをした。母親にはときどき文句を言われていたけど、あのカタナはあれからずっと倉庫の奥のスペースを陣取っていたのだ。
「おまえがバイクで帰ってきたら、親父さん喜ぶんじゃないか?」
「どうだろ……」
「おまえの漫画にも、ときどきバイクが出てくるよな」
「読んでんのか?」
「おう。俺は好きだよ、ああいう話」
「そうか……」
「カタナ、出てきたよな」
「……うん」
俺はヤマダから窓の外へ視線を移した。もう一度、駿河湾とその手前の街並みを見やった。
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ヤマダの乗る赤白のXSR900が、俺を追い抜いて下りのカーブを抜けていった。離れまいとSV650で追いかける。国道1号線、東海道箱根峠を、俺たちは西へ向かって下っていた。まさかこんなことになるとはな……。
俺は、さっきまでいたバイカーズパラダイスでの会話を、思い返していた。
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「なあヤマダ。俺は上京してから十二年、一度も実家に帰っていない。それどころか静岡県にも入っていないんだ」
「……家の敷居ならぬ、静岡の県境をまたがない、ってか?」
とヤマダは笑った。
「ふざけるなよ。……まあ、そういう気持ちだ」
ヤマダは黙って俺の目を見た。俺は続けた。
「そういう気持ちでいるんだよ。だから成功しないと帰れないんだよ」
ヤマダは静かにこう言った。
「おまえはもう成功しているだろ」
「いや。全然」
「漫画家として生活しているじゃないか」
「まあ、そうだけど。全然稼げていない」
「儲かれば成功なのか?」
俺も答えを知りたい質問だ。ヤマダは続けた。
「儲かっても、人生に成功したとは言えない人もいる」
しばらく黙って考えていた。
「それに……おまえは今、静岡県にいる」
ヤマダが真顔で言った。
「ここは田方郡函南町、俺たちが生まれ育った町だ。おまえはもう静岡県に入っちまったんだよ」
地図を見てみた。確かにその通りだった。ターンパイクの出口もその前を通る道路も神奈川県なのに、バイカーズパラダイスの敷地から静岡県だ。
俺はヤマダを一瞬見てから、視線をコーヒーカップのあたりへ落とした。
「おまえの漫画は、いつも親父さんが貸してくれるんだ」
顔を上げてヤマダを見た。
「カタナの登場、めっちゃ喜んでたぞ」
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強い日差しが照りつけていた。いつの間にか雲はどこかへ行ってしまったらしい。
右に富士山が見えたり、左に三島の町並みが見えたりと、ここが静岡であることを実感する。だけどあまり脇見をしているとヤマダに置いていかれる。俺は運転に集中し、下りの右カーブへ向けて重心を落とした。ヤマダは体を傾けて先に右カーブに入っていった。
XSR900とSV650の2台のオートバイは、ときどき入れ替わりながら、国道一号線、東海道箱根峠を、西へ下っていった。
おわり

