ガレージが変えた私のこれから
作 武田宗徳
最寄りのインターから首都高速道路に入った。BMW R1300GSは快走していた。
GSで初めてのタンデム走行をしている。「嫌だ」と言って断られると思い込んでいた妻が、後ろに乗っている。妻と二人乗りするのは初めてのことだった。
都内を抜けてしばらく走り、やがて高速道路から降りた。しばらく山道が続く。後ろから、初心者ライダーの息子が追いかけてくる。
タカシのやつ、再び働き始めたと思ったら、私たちに内緒で免許を取ってバイクも買っていた。私は、怒りや驚きを通り越して笑ってしまった。若い頃の私もそうだったから。
そろそろ私のお気に入りの場所に到着する。
きっと明日には”私たち”のお気に入りの場所になっていることだろう。
ー 半年前 ー
取引先から『部品が届いていない』と帰宅途中の私のところに電話が入った。謝罪して一旦電話を切り、すぐに工場長へ電話を入れた。工場長は「今日発送した」と言った。だが本当は今日顧客の指定工場に到着させなければならなかった。
……納期遅延だ。
帰宅したのは夜の9時を過ぎていた。食卓に並んでいるはずの夕飯が今日は無かった。
「遅いから今日も夕飯いらないと思って」
妻がそう言った。金曜は夕飯が要らない日が多い。だが要らない日は必ず妻の携帯に連絡を入れていた。
「何かないのか? なんでもいい」
「何もないのよ。夕飯はタカシと豆蔵に行ったの」
近所に昔からある定食屋だ。私も久しぶりに豆蔵で食べたかった。
「タカシは?」
「出かけたみたい」
「仕事は決まりそうか?」
「……さあ」
言いたかった言葉を飲み込んで2階へ上がった。クローゼットでスーツを脱ぎ捨て、ライディングジャケットを羽織った。階下へ降り、玄関でブーツを履く。
「あなた出かけるの?」
黙ったまま、ヘルメットとグローブを持って外に出た。
あてもなくオートバイを走らせていた。ほんの少し走ればよかった。気分転換ができたら自宅に戻るつもりだった。だが私は首都高速道路の入口を通り抜けていた。高速道路を飛ばして都内を脱出し、やがて下道へ降りた。
雲のない四月の夜だった。寒さを感じた。昼間との気温の差が激しい。ますます冷え込んできているような気がする。久しぶりに乗るBMW R1300GSと私は、さらに都会の喧騒から遠ざかっていた。目的地など決めていなかった。いつの間にかひとけの無い森の中を走っていた。
気持ちは落ち着いたが、体は疲れていた。《キャンプ・グランピング》という文字の看板を見た。どこでもいいから体を休めたかった。看板に従ってGSを走らせた。
グランピング場とやらに到着した。案内されたのは今期から新しく始めたというガレージのある戸建の宿泊施設だった。そのガレージは、半分がバイクを収めるガレージスペースで、もう半分が宿泊者の過ごす居室スペースだった。ガレージスペースと居室スペースはガラス戸で仕切られていて、ソファベッドと小さなテーブル、料理のできる小さなキッチンがあった。薪ストーブもある。


「大浴場は12時までです。シャワールームは24時間いつでも。トイレも同じ管理棟にあります」
グランピング場の管理人はそう言った。すると、ガレージのシャッターが静かに開きはじめた。
「電動シャッターです」
シャッターが上へ移動してガレージの入口が少しずつ開いていく様を見ていると、疲れていたはずなのに気持ちが高まってワクワクしてきた。
「さ、どうぞ。ごゆっくり」
管理人はそう言って、その場を離れていった。
もう、夜の11時になりそうだった。私は、R1300GSをガレージに入れた。脱いだジャケットをクローゼットに掛け、ヘルメットを専用のフックに掛けた。ブーツを脱いで、ガラス戸の向こうの居室スペースへ移った。ソファに腰を降ろす。
ようやく落ち着いた。あたりはとても静かだった。目の前のガラス戸のすぐ先に、私のGSがこちらを向いて佇んでいる。
(こいつの全身を眺めながら、一晩を共に過ごせるというのか)
しばらく相棒を眺めていた。
薪ストーブに火を入れた。震えるほど体が冷えてしまっていた。薪ストーブの窓の揺れ動く炎を見ていた。時々、燃えている薪を動かしたり、追加したりして、薪や炎と戯れていた。コンビニで買ってきた小瓶のウイスキーをちびりやり、やがてソファに横になった。体も暖まってきた。視線の先には私のGSがある。
理由のわからない安心感に包まれていた。とても穏やかな気持ちになっていた。
妻は心配しているかもしれない。あの顧客の社長に連絡を入れるのも少し遅くなってしまう。タカシはいつになったら仕事をしてくれるのだろう……。いろいろと面倒だな……。
今まで思ったこともなかった感情が、私のなかに浮かんで、消えた。
こんな状況なのに、今夜はぐっすり眠れそうだった。
翌日の土曜日、午前中に自宅に戻った私を見て妻は「もう、心配させないでよ」と言った。「何か食べたい」と私が言うと、ごぼうと里芋の煮物が出てきた。妻の一八番で、私の一番好きな料理だ。温かくてしっかり味が染みていた。
「タカシ、仕事決まったって」
キッチンにいる妻が、背を向けたまま言った。
「昨日の夜、役員面接だったみたい。社長さん、忙しいけど週末までに採用可否を決めたかったんだって」
私の携帯電話が鳴った。見ると何回か着信が入っていた。いずれも工場長からだった。出ると電話の向こうで、
「今から部品を届けに行きます」と言った。そしてこう続けた。
運送会社のセンターまで追いかけて部品の入った荷物を確保した工場長は、納品先が土日休みで受け入れできないとわかると、一か八かで社長宛に電話を入れた。名前を名乗ると、なんと高校の同級生だったという。しばらく野球部で共に切磋琢磨した懐かしい思い出話に花が咲いた、と。今日は部品を届けたあと、一緒にお昼を食べる約束をしているという。
「昼から焼肉です、野球部ですから」と、電話の向こうの工場長は笑った。
工場長にも考えがあって、それが功を奏して丸く収まりそうだった。それどころか、今まで以上に良い付き合いができそうだ。
タカシも働き先を決めた。前から狙っていた会社で、彼なりの布石を打ってきたようだった。彼自身の少ない人脈や縁もうまく使ったみたいだった。本当にやりたい仕事のできる会社に、採用された。
皆それぞれが、ちゃんと考えて動いている。私は何もせず、心配もせず、ただ信じているだけで良かったのだ。
次の週末、私は相棒のGSを走らせて宿泊ガレージのあるグランピング場に来ていた。前回チェックアウトするときに、デイキャンプもできると聞いていた。だから今度は明るいうちから来ようと思っていたのだ。まさか一週間後の今日になるとは。自分でも笑ってしまう。
バイクをガレージに収めてから、私はキッチンで湯を沸かし始めた。キャンピングカーに使われるキッチンだと聞いている。コンパクトだが使いやすい。冷蔵庫も装備している。ここで他にどんな過ごし方ができるのか、考えているだけでワクワクしてしまう。
ドリップパックのコーヒーに湯を注いでカップに落とし、それを持っておもての椅子に座った。日差しは強いが、風は爽やかだった。ガレージのオーニングが日を遮ってくれている。濃いめのコーヒーを一口飲んで、椅子に深く腰をかけた。深呼吸をした。
いい気持ちだ。とてもリラックスできる。
こんな風に時間を過ごせる場所があるなんて……。
こうして私は、度々ここでゆったりした時間を過ごすようになった。
ー 数ヶ月後 ー
会社の工場長や社員たちが、以前より私に相談をしてくるようになった。中には感心するくらい会社のためになると思うような提案もあった。
息子が前より話しかけてくるようになった。最初の給料で、私たち夫婦を食事に招待してくれた。私たちのお気に入りの食堂、あの定食屋の豆蔵だった。
そして妻がやさしくなった。その妻に「あなた、あまり怒らなくなった」と言われた。自分ではわからなかった。まったく気づいていなかったことだった。
「なあ、今週末、二人で出かけないか」
夕飯を食べ終えた私は、妻に言った。
「へえ、珍しい。仕事はしないの」
「最近は家で仕事はしていないよ」
「……バイクの後ろ?」
予想もしていなかったセリフだった。だが実は、それを最初に聞いてみようかと思っていた。
「うん。嫌かな?」
「……実は、乗ってみたかった」
と笑みを向けた。まさか妻がバイクの後ろに乗りたかったなんて思ってもいなかった。独身の頃に断られてから一度も誘うことはなかった。
「じゃあ二人乗りで行こう。良いところを見つけたんだ」
「……あなたがやさしくなった理由が、そこにあるのね?」
「?」
生活が大きく変わるわけではない。
でも、新しい生活が始まるような予感がしていた。大切にするものが変わっていくような感触があった。
何も変わりはしない。
だけど自分の中で、何かが変わり始めていた。
おわり

バイク短編小説 Rider’s Story
人生を変えた一杯の珈琲
~北海道、テネレ700で始まる彼の第二章〜
作 武田宗徳
よく店にコーヒーを飲みに来ていた男の人が来なくなった。数週間後、一緒に来ていた同じ会社の男の人たちの会話から北海道に転勤になったとわかった。
その人と一度だけ話をしたことがある。私がバイクに乗っていると知って、自分の乗っているバイクの写真を見せながらオフロードバイクについて話をしてくれたのだった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
札幌支社への転勤が決まり、俺は思い切って一年前から付き合っている彼女にプロポーズした。
「一緒に、札幌で暮らさないか」
すぐに返事はもらえなかった。地元大阪から離れて北海道で暮らすことに抵抗があるみたいだった。
やがて俺たちの間に、なんとなく気まずい雰囲気が漂い始めた。しばらく会わない日が続いた。大阪を離れる前の日に、彼女はひょっこり俺の前に姿を表し、そうして別れを告げていった。
ひとり札幌で暮らし始めてひと月が経った。だいぶ部屋も片付いたし、仕事も落ち着いてきた。先週に続いて今週末も、手持ち無沙汰の休日を迎えていた。
まだ肌寒い五月の札幌の街中を、先週と同じように自転車で流していた。視線の先にバイクショップが見えた。店の前まで来てショーウインドウ越しに中のオートバイを覗き見た。
オートバイは大阪を離れるときに手放してきた。ヤマハWR250Rというオフロードバイクで、地元の林道を走って楽しんでいた。
(ここで週末オートバイに乗る生活もいいな……)
店の奥から存在感を放っているオフロードバイクが見え、俺は引き寄せられるように店内に入っていった。
ーテネレ700ー
異様な迫力を感じる。何かの古い雑誌に載っていたパリダカールラリーの記事で、これの前身モデルの写真を見たことがあった。
「ビッグオフロードマシンだよ」
店の親父が近づきながらそう言った。
「アドベンチャーと呼ばれることもあるけど、それと区別してビッグオフロードと呼びたいね」
ビッグオフロードマシンか、いいな……。排気量が大きすぎやしないか……。車重も200キロを超えている。北海道のダートは緩やかな道が多いと聞くし、広大だから、このくらいの方が楽しめるかもしれない。だけど俺に扱い切れるだろうか……。
「あんた、前は何に乗ってた?」
「WR250R、です」
「そうか。こいつでオフロードを楽しみたいんだね。だったら若いうちがいい」
「……」
「あんたが一番若いのはいつかね」
そんな質問やめてくれよ。それは誰もがそう、いま現在だ。
本州は梅雨の時期だが、北海道は新緑の気持ちの良い季節が訪れていた。爽やかな風が吹き、青空が広がっていた。
俺はテネレ700に乗って道東へ向かっていた。日の出る前に札幌の自宅を出発した。午前中の早い時間に道の駅さらべつに到着した。たくさんのオートバイが集まっていた。今日はコーヒーブレイクミーティングが開催されているようだった。温かいコーヒーを頂いてから先を急ぐ。
道東、根室。日本の最東端、納沙布岬を目指していた。札幌から往復すれば慣らし運転が終わる計算だった。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
私は北海道のライダーハウスで住み込みのアルバイトをしていた。
お客様の居なくなる時間、つまりチェックアウトからチェックインまでの昼の数時間が、私の自由時間だった。借り手のつかなかったレンタルバイクの調子を見るという名目で、ヤマハセローを走らせていた。
私が雇われ店長として働いている大阪の喫茶店のオーナーから「ビルのリフォームをするから7月だけ喫茶店を休業したい。給料はちゃんと払う。こんなことあまりないから、この機会にゆっくり休んでよ」と言われた。
この7月、あの男の人のいる北海道へ行こうと考えた。生まれて初めての北海道だった。最初は休暇のつもりで来たのだけど、気づいたら期間限定で住み込みのアルバイトを始めていた。
セローに乗って摩周から根室に向かって走っていた。適当な場所で引き返すつもりだった。
前方から鈍い衝突音と道路の擦れる音が聞こえた。嫌な予感がした。
ゆるいコーナーを抜けると、大きなエゾシカが走り去っていくのが見えた。道路の端に大柄のライダーが横になっていた。その反対側の端に大きなオフロードバイクが倒れていた。あれはヤマハのバイク、テネレ700だ。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
気がついたら俺は、病院のベッドに横になっていた。
根室から折り返して走っている途中、突然現れたエゾシカと衝突した。大きな怪我はしていないし、バイクも修理して直るレベルだった。あとから救急隊員に聞いたところ、エゾシカもその場に居なかったというから、大したこともなかったのだろう。
ただ俺は、丸一日意識が戻らなかったようで、検査も兼ねて二日ほど入院した。自分では気づいていなかったが、慣れない生活で疲れていたのかもしれない。
救急車を呼んでくれた人に、どうしてもお礼を言いたかった。だけど名乗らなかったという。救急隊員の一人が、その人を見たことがある、と言った。摩周のライダーハウスでアルバイトをしている人じゃないか、という。
「今、また走りに行っちゃって」
摩周のライダーハウスを訪ねて来た俺に、オーナーの男性はそう答えた。
「どうしてもお礼が言いたくて。少し待たせてもらってもいいですか」
と俺がお願いすると、
「もちろん」
と、快く了解してくれた。
俺は、ライダーハウスのおもてのベンチに腰を下ろした。
午後の陽がやわらかく射していて、風は穏やかだった。静かな時間が流れていた。オーナーがカップを二つ持ってきて、一つを俺に手渡した。ありがたく頂戴して、ホットコーヒーを飲む。
「美味しい……」
思わず口に出てしまった。
「そう? 普通のコーヒーだよ」
オーナーはそう言ってゴクゴク飲んでいた。
こんなに美味しいコーヒーは久しぶりだった。俺の好きな味だ。飲み慣れた味なのだろうか、懐かしさも感じる。たぶん北海道に来てから初めての味だった。
「その子が淹れたコーヒーだよ、それ。大阪から来て7月だけアルバイトしてもらってる」
「へえ……」
「大阪の喫茶店で店長やってるって。……プロだからさ!」
ニコっとオーナーが笑って言った。
俺は両手でコーヒーの入ったカップを持ち、ときどきそれを口に持っていって少しだけ飲んだ。
大袈裟かもしれないが、軽い衝撃を受けたと言っても良いほど、美味しいと感じていた。
この美味しさの訳も知りたくなっていた。
あと一時間だろうか。それとも二時間になるだろうか。
彼女が戻って来るまで、俺はいつまでも持っているつもりだった。
おわり
本作品は、オーダーを頂いて、脚色して書き上げた架空の物語です。愛車テネレ700、舞台は北海道、という指定でした。さらに珈琲のエピソードを加えました。
あなたの物語をオリジナルのフィクション小説という形にいたします。完成した短編小説はホームページに掲載、その後フリーペーパーRider's Storyにも掲載し全国の協力店様に配布します。そして、いずれは小生の著書 Rider's Storyシリーズの一つの作品となり書籍化いたします。
5000円/400字。本作品のボリュームですと、2700字なので33,750円(税別)です。
オリジナル小説制作に興味のある方、お気軽にお問合せ、ご相談ください。各SNSのメッセージ、もしくはこちらよりよろしくお願いします。